けやきのき

あれもこれも楽しみたい、理系大学院生の個人的で気ままな覚え書き。

失われる可能性にも思いを巡らせて。 

平松さんが考えています。

私も考えています。
そして、科学や科学コミュニケーションに携わる多くの人にこういうことを考えてほしいので、ここでもご紹介。

岡山市で、プラネタリウムを備えた児童館の閉館が提案されているそうです。
自治体の財政が厳しい中、その提案に反対することができるのか。

科学が人を幸せにする、と、断言できればよいけれど、
>科学がもたらす(かもしれない)直接的な不幸だけじゃなくて、科学(天文学)にお金をつぎ込むことで失われる他の可能性にも思いをめぐらせるべき。そしてその失われた可能性を補って余りある価値が科学(天文学)にあるかどうかを考えて、それを専門外の人とも議論する必要があるんじゃなかろうか。


私自身、理学系の大学院生である友人に科学コミュニケーション活動の話をした時に、
「話はとても良くわかる、自分自身もその大切さはわかるし、共感はできる。でも、医療や、福祉や、もっと火急のところにお金がないと言われた時に、科学にまわせと言えるだろうか」
と問われたことがあります。
1年くらい前のことですが、折に触れて考えています。


プラネタリウムがなくなって、天文学や、サイエンスの営みが衰えても、今日も明日も明後日も、1年後だって2年後だって困らないかもしれない。そう考えると、今日、明日、困っているところにお金をかけたくなる。かけるべきのように思える。

でも、プラネタリウムがなくなって、天文学や、サイエンスの営みが衰えたら、10年後、30年後、100年後の世界は変わっているかもしれない。財政の危機を脱していても、一日一日を生きる、世界の魅力が半減しているかもしれない。
…なくなってしまえば、その大切さに気付かずに過ごしてしまえるのかもしれないけれど。


勝間和代さんの時間投資法的に言うと、基礎科学にお金(時間でも)をかけるっていうのは、"投資"なのだと私は理解しています。
未来のための投資。
火急ではないけれど、大切なもの。
火急なものに手をかけていると後回しになるけれど、成長のためには欠かせないもの。

そして、限られた資源をきちんと投資に回すためには、かけるべきところ、かけるべきでないところを勇気を持って判断し、合理化、効率化によってお金(時間)を捻出しなければいけない。
そして、投資したものが帰ってくる=成長や幸せをもたらすことを理解できなければいけない。


でも、本当に無い袖は振れない。
岡山市という単位で見て、どこをどう頑張っても投資(プラネタリウム・科学)に回せるお金がないのか、私はちょっとわかりません。
日本という国の単位で見ると、どうなんでしょう。


>プラネタリウムの廃止提案だとか天文台にお金出さないぜみたいな状況が発生してから慌てて考えるんじゃなくて、やっぱり日頃から意識しておかないとね。
本当に、そうですね。



[ 2008/09/24 21:36 ] サイエンスと社会 | TB(0) | CM(2)
こんにちは 平松さんのところから飛んできました。

天文学より、医療や福祉にお金を回すべき

というのは、よくある言説です。いっけんなるほどと思ってしまいたくなる。しかし、そこで思考停止してはいけない。

なぜかというと、これは間違っているからです。そんなこというなら、日本の全リソースを、生命活動を維持することに回すのが、絶対善になるということです。

人間、確かに命あっての物種です。でも、なんのために生きるのか? 医療現場でもさかんにQOLという言葉がいわれています。聖書にも「人はパンのみにて生きるにあらず」とあります(その後は神の言葉で、、と続くのではありますが)

つまりは、天文学にも医療にも福祉にも、それぞれお金を回すべきなのです。

そして、本当に生活が苦しい、病の床にある人が願うのは「医療にお金を回して」というのではなく、「楽しく健康に人生が送れるようになりたい」と思っているはずなんです。

投資というのも、一つの考え方かもしれません。ただ、それよりシンプルに、ただ生きていくのではなく、よく生きていくために、みなで出し合った税金や社会リソースは活用してもらいたいと思うのです。
[ 2008/09/27 00:33 ] 大阪のわたなべ [ 編集 ]
>大阪のわたなべさん
いらして下さってありがとうございます。
また、大変丁寧なコメントをどうもありがとうございます。

>つまりは、天文学にも医療にも福祉にも、それぞれお金を回すべきなのです。
そうなんです。こう、断言できると良いのに、と思っています。でも、優先順位を考えざるを得ない時に、どう考えられるのか。
また、"よりよく生きる"ために天文学が必要だと思えない人に、どう訴えていいったら良いのか、ということを考えます。それこそ、重要性を訴えるのが先なのではなく、天プラの活動のように、じかにその魅力を実感して頂くことが大切なのではないかと思っていますが…

投資という表現で誤解を与えてしまったかもしれませんが、国が技術的、経済的に成長するための投資、という意味で書いたのではありませんでした。
わたなべさんのおっしゃるように、世界中の人がより良く生きるための投資という風に考えています。なので、考えていることは近いことかもしれません。

私は研究(天文学ではなく生命科学ですが)に携わっているので、他の方にも言われましたが、研究者としてもっと自信を持って主張できたら良いのに、といつも思います。でも、生活も結構苦しいので、迷いも生じてしまったりするのです。やはり、衣食が足りずして、その先のことを考えるのは難しいのではないか、とも。

どうもありがとうございました。
また何かありましたらコメント頂けますと嬉しいです。
[ 2008/09/27 07:40 ] suikyo [ 編集 ]
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